ましゅ公と愉快な呟きたち

いろんなことについて書きなぐりたい。そして、それが誰かの役に立つといいなと夢想するブログ。

ましゅ公と愉快な呟きたち

都会で優雅に毎日読書なんて幻想にも程が有る。

どうもこんにちは。

ましゅ公です。

 

ブログがおざなりでした。

というのも、最近電車通勤生活を再開させまして。環境の変化になれるのに精一杯でブログどころの騒ぎではなかったのです。

 

私はまた、朝の通勤ラッシュにのまれる生活を再開させました。元々中学生の頃から都内に電車通学で通っていたので、都心の満員電車事情には精通しているはずでした。

 

ですが。

ですが!!

人間というのは不思議な生き物で、

たった半年間、電車とは無縁の生活を送っていただけで、これまで培ってきた電車への耐性が、見るも無残に散っていってたよ。

 

四方八方四面楚歌状態。

手も動かせない。

足も動かせない。

ついでに頭もうごかせなかったりする。

酸素が薄いし熱がこもる鉄の檻の中に、南米の囚人もびっくり級に人々が押し込まれて護送されていく。みんな、ようやるわ。

 

でね、思ったの。

 

本が読めないじゃん、これ。って。

 

今日、今絶賛読み進めてる本(結構でかめ)をカバンに忍ばせていったのだけど、満員電車を目の前に、これを取り出したら私視殺されるんじゃないかな、と思って怖くて取り出せんかった。

 

周りももうそのことに気づいているのか、最早誰一人として本を読んでる人はそこにはいなかったよ。瞑想に迷走している人、クソ弾きを繰り広げている人、他者との繋がりでいっぱいいっぱいの人、誰もかれもが満員電車という地獄をなんとかやり過ごそうと、自分の世界に閉じこもっていた。

 

パーソナルスペース確保するのでも大変だもん。

読書なんて余裕は1ミリも生まれる余地がないと思う。

 

でね、だから私思ったの。

 

これは電子書籍に頼る時代がきたわ、と。

 

私は専用端末をまだ持っていないのですが、本を読むために必要なスペースは、くそ弾きを繰り広げるために必要なスペースとおなじ。そしてページをめくる動作も、本家よりも小さく済む。

 

ほぼ片手で完結するのがまたいいところ。

 

以前、大人の読書離れが顕著だって嘆いたときがあったと思うのですが、この実情を目の当たりにすると、まあそうやわな、そりゃそうなるわ、と一人納得してしまいました。むしろあんな状況で本を取り出す勇気を持ってる人がいたらお会いしたい。

 

でね、気になったのでいろんな電子書籍のサイトを回ったのよ。

kindleとかbookliveとか。なんかデカそうで賑わってそうなサイトばかり回ったんだけど…なんか本のジャンル少なくない?

 

新刊はもちろん揃ってる。漫画なんてアホみたいにラインナップがある。

でも、ちょっと古めの実用書(?)が揃ってないような、いるような…

新書なんてあんまり見当たらないしさ、学芸書?大学の教科書で買わされそうな専門書なんかは電子書籍化されてないようなんだよね。まあ、腰を据えてアンダーラインめっちゃ引きながら読んでくださいってメッセージなのかもしれないけどさ。

 

雑多に色々読みたい私としては、ちょっと物足りない感じがしました。

なんだよ、音楽なんかは色々あるのにね。iTune musicでDeep forestとかDeleriumとかSigur rosとか見つけた時は全俺が震えたのに。電子書籍じゃ震えさせてくれない。

世知辛い世の中だ。

 

最近では「オーディオブック」ってのも流行ってきてるらしいね。

私は最近知ったばかりでまだ手を出せてないんだけど、歩きながら、料理しながらって「ながら」で本を読めるのは非常に効率的だなって思うんだけど、どうなんだろう?私の捉え方としては、ラジオの上位互換みたいな感じなんじゃないかしら、と思う。

でもこれも読める本に制限がある。

 

きっと、電子書籍に変換するのが大変なんだろうな。

音楽なんてデータを操るだけだけど、本は元々紙媒体のものだからな。

好きな時に、好きな作家の本が読めるような時代になってほしいな。

今ね、無性に中沢新一の本が読みたかったりする。もちろん電子書籍でもオーディオブックでも読めないものだけども。

 

【追記】

いつもよりも5分遅く家を出たら電車が結構空いていた…

遅刻ギリギリのリスクを取りながらも読書をするべきか否か…。。。