自分の人生は一冊に集約できる。ズボラが始めるバレットジャーナル
どうも、ましゅ公です。
最近バレットジャーナルなるものを始めました。
約1ヶ月前くらいかな?なーんか自分の引き出しが空っぽなような気がして、
「うーむ、己の人生に向き合わんといかんな」
と思って放浪していた時に、ミドリのMDノートなる Simple is the OSHAN!!!みたいなノートに出くわしちまったんだ。
バレットジャーナルについてはもうド有名すぎて今更語るまでもなしなノートテイキング術なのでここで何を説明することもないと思うのですが、ざっくり言うと
「バレット(=丸点)でまとめる自己的生活」
みたいな感じです。
(↑リゼロロゴジェネレーター様で作成させていただきました。いやどーしても語感がリゼロっぽくって作っちゃった!ウフフフ)
最初はバレットでまとめるだけのシンプルな構造だったようですが、時代と共にその様相は変わっていき、現在は「そのうち飛び出す絵本実装されるんじゃないかな」ぐらいの魔性を秘めたものになりつつあります。
私は自他共認める飽き性です。
絵のセンスは音痴なので絵なんて書けないです。
文房具の色とかこだわるのだるいんです。
写真とかコピー機ないから貼れないです。
ついでに字体は「かっこいい」と評価される部類です。
でもそんなこと気にしちゃあダメだ。
確かにバレットジャーナル上位者の画像でグーグルの画像コーナーは溢れかえって啓蒙度が低い下々の者にとっては非常にとっつきにくく思えるかもしれない。
けれどもこういうものって結果ではなく過程や未来を楽しむことにあるんだと思います。
「何を書いたか?」ではなく
「書く時のペンと紙の摩擦音がこのデジタル社会において新鮮!」とか
「絵は全く書けないから文字ばかり」ではなく
「絵を学んだらどういったノートを描こうか?」と妄想したりとか。
啓蒙度が低ければ啓蒙度をあげればいいじゃない。
さすればいつか上位者の仲間入りとなるだろう・・・
バレットジャーナルですが、「全ての情報を一冊に集約する」ことがいいのだそう。
一冊に日記もライフログもレシピ集も愚痴も妄想も呪詛も全部書いてしまいましょう。
そうすると暇な時に過去の自分を簡単に振り返ることができ、
「あの時はバカなことで半日悩んでたなぁ・・・」
「当時の私はこんなことに興味を持っていたのね」
と客観的に自分を見つめることが可能=自分という存在の傾向と対策が可能!というイコールが成り立つらしいですよ。
日記帳・家計簿・手帳・世の中には目的毎に分かれたノートもあるにはあるけれども、
スマホがあらゆるメディアを吸収していったように、
私たちの人生も一冊のノートにまとめるのが良いのかもしれないですね!