絵心も創作力もなくても可愛いバレットジャーナルを作る方法教えます!!
どうも、ましゅ公です。
バレットジャーナル初心者のための入門編
先日、「バレットジャーナルを書きはじめたで!」という記事を書きました。
ズボラによる、バレットジャーナル。
世間には絵も写真もシールも切り抜きも、みんな一緒くたにまとめた図工の優秀作品に選ばれてもおかしくないくらい華やかなジャーナルであふれています。
「センスのない人がバレットジャーナルなんて手を出したらいけないんだろうか」
と、心の深い底で思っている人はいませんか?
ちなみに、私がそうでした。
でも、バレットジャーナルを始めて2ヶ月。
「ぶっちゃけ、ソフトカラーの蛍光ペンとマステがあれば可愛いは作れる!!!」
という結論に至りました。
ちなみに、バレットジャーナルを始めんと最初に書いたのがこちらでした。
黒っ。
文字でかっ。
小学校の時の男子の書道みたいな雄大な筆跡やん。
・・・てかお前誰やねん。
納得のいくパン作りを目指して、作ったら分量と感想を書いたものなのですが、なんというかまぁ・・・なんでこんなに雑になったんだろうかと今では疑問です。
多分当時の私も思っていたでしょう
「あれ、思ってたんと違うな」
って。
そこで、まずソフトカラーの蛍光ペンを導入しよう!という考えになりました。
蛍光ペンは視覚的にも良いし難易度的にも難しくないから(引くだけだし) 、バレットジャーナルにも取り入れやすいんじゃ?と思ったんですね。
ソフトカラーであれば尚良し・・・!
ということで、運良くダイソーで5色入りのソフトカラー蛍光ペンを見つけられましたので導入してみました。
それが、こちら。
・・・なんか見栄えがよくなってませんか?
蛍光ペンで色を使っただけで我々の知ってるバレットジャーナルに近づいた気が、私の中ではしました。
それにマスキングテープなんて加えたら楽しいんだろうなぁと思ったらめっちゃ楽しかったし、映えた。(写真のマステは台湾に行った際に買ったもの。鶏排のイラストが可愛すぎる・・・)
内容が全部レシピ系なのはたまたまでございやす・・・^^;
絵が苦手でも可愛いバレットジャーナルは作れる。
確かに絵とか描けたらもっと自由度が上がって作りがいがあるかもしれないけれど、ただ文字をマーカーで装飾したりマステを使ってスパイスを加えるだけでも十分に可愛い。
絵が描けなくても、写真の切り抜きがなくとも、バレットジャーナルは可愛くなれるのです。
もしバレットジャーナルを始めることに尻込みしている人がいたら、こんな私でもわりかし見られるくらいの作品が出来上がるってことを教えてあげたい。
自分の人生は一冊に集約できる。ズボラが始めるバレットジャーナル
どうも、ましゅ公です。
最近バレットジャーナルなるものを始めました。
約1ヶ月前くらいかな?なーんか自分の引き出しが空っぽなような気がして、
「うーむ、己の人生に向き合わんといかんな」
と思って放浪していた時に、ミドリのMDノートなる Simple is the OSHAN!!!みたいなノートに出くわしちまったんだ。
バレットジャーナルについてはもうド有名すぎて今更語るまでもなしなノートテイキング術なのでここで何を説明することもないと思うのですが、ざっくり言うと
「バレット(=丸点)でまとめる自己的生活」
みたいな感じです。
(↑リゼロロゴジェネレーター様で作成させていただきました。いやどーしても語感がリゼロっぽくって作っちゃった!ウフフフ)
最初はバレットでまとめるだけのシンプルな構造だったようですが、時代と共にその様相は変わっていき、現在は「そのうち飛び出す絵本実装されるんじゃないかな」ぐらいの魔性を秘めたものになりつつあります。
私は自他共認める飽き性です。
絵のセンスは音痴なので絵なんて書けないです。
文房具の色とかこだわるのだるいんです。
写真とかコピー機ないから貼れないです。
ついでに字体は「かっこいい」と評価される部類です。
でもそんなこと気にしちゃあダメだ。
確かにバレットジャーナル上位者の画像でグーグルの画像コーナーは溢れかえって啓蒙度が低い下々の者にとっては非常にとっつきにくく思えるかもしれない。
けれどもこういうものって結果ではなく過程や未来を楽しむことにあるんだと思います。
「何を書いたか?」ではなく
「書く時のペンと紙の摩擦音がこのデジタル社会において新鮮!」とか
「絵は全く書けないから文字ばかり」ではなく
「絵を学んだらどういったノートを描こうか?」と妄想したりとか。
啓蒙度が低ければ啓蒙度をあげればいいじゃない。
さすればいつか上位者の仲間入りとなるだろう・・・
バレットジャーナルですが、「全ての情報を一冊に集約する」ことがいいのだそう。
一冊に日記もライフログもレシピ集も愚痴も妄想も呪詛も全部書いてしまいましょう。
そうすると暇な時に過去の自分を簡単に振り返ることができ、
「あの時はバカなことで半日悩んでたなぁ・・・」
「当時の私はこんなことに興味を持っていたのね」
と客観的に自分を見つめることが可能=自分という存在の傾向と対策が可能!というイコールが成り立つらしいですよ。
日記帳・家計簿・手帳・世の中には目的毎に分かれたノートもあるにはあるけれども、
スマホがあらゆるメディアを吸収していったように、
私たちの人生も一冊のノートにまとめるのが良いのかもしれないですね!
時間術とは習得するものではなく時間と共存していくための術である。ーメンタリスト・DaiGo著『週40時間の自由をつくる超時間術』を読みました
どうも、ましゅ公です。
先日、自分の時間の使い方が下手すぎて嫌気がさすわ!と嘆きのマートルもビックリなくらい卑屈なネタで自分を卑下する醜態を白日の元に晒しました。
本日はその続き。
あの時挙げた、DaiGo著『週40時間の自由時間を作る超時間術』を読み終えたので、そのお話。
さすがはメンタリストを肩書きにあげるだけあり、超時間術の内容はライフハックでもあり、かつメンタルハックなものでもありました。
要はね、
タイムハックしたいのであればまず己の精神面から見直さんかい!!!
という、彼の熱い熱い愛のムチを感じました(キモい)
よく巷に溢れる時間術について説く本は
「時間設定を設けて作業をしよう」
「スモールゴールを」
「早朝に起きてスタートダッシュを」
「頭の回転を・・・」
などなど、テクニック的な要素を中心に語っているような気がします。
うん、確かにこれらができれば何も困ったことはない。
だからその本の著者はドヤ顔で執筆してるんだと思う。
けれども、小手先のテクニックだけでは時間術はおそらく半分くらいしか身につかない。それは何故かというと「時間を支配してやろう」「時間を自分の思い通りに回してやろう」という、昔むかーしケルト人をヨーロッパの端っこに追いやったゲルマン人(だっけか?)のごとく侵略者的な思想に偏った方法だからだと私は思うのです。
支配しようと躍起になればなるほど、気づけば支配されている。
ミイラ取りがミイラになる。
そんな感じ。
時間というものを意識すれば意識するほど人は時間に関してどんどん敏感になっていくのですよ、奥さん。
きっとタイムハックに躍起になった人の行き着く先は、映画『インターステラ』の主人公・クーパーの道中みたいに結果や成果だけを取り急ぎ追い求める感じになっちゃう。
違うんですよ。
時間を思い通りに使いたいと思うのであればまず、自分の中の「時間」に関する考え方・接し方を改めないといけない。
そして「時間」っていうのは扱うのが難しい。目に見えないくせに私たちを束縛する。だから時間に翻弄されないようにメンタルも同時に鍛えなければならない・・・
というDaiGoさんからのメッセージを感じました(個人比)
大変ありがたかったのが
「時間を有効に活用したければ朝早くに起きなさい」
って書いてなかったこと。
時たまyoutubeとかでDaiGoさんの動画を見ると、彼、結構な夜型と自分を言っているんですよね。そして私もめっちゃ夜型の人間。
朝型こそ正義!な人が多すぎてげ○吐きそう・・・ってのが自己啓発本の暗黙の了解(そして暗黙の反応)だと思ってたので、もうこの一点だけでも非常に親近感が湧きました笑
時間は何人においても24時間しか与えられないもの。
それを増やすも減らすも私たち人間の力では無理なのです。
私たちはどうしても時間というものに翻弄されやすいし躍起になって時間を屈指させてやろうと躍起になりがちですが、私たち自身の時間に対する価値観とマインドを改めて、うまーく一緒に生きていけたらなと思いました。
・時間術とか何それおいしいの
・数多の時間術の本を読んで結局は上っ面だけの中身なしだったわ・・・って結論に至ってた方
・朝型になろう!と言われて殺意めいたものを感じたことがある方
に、是非是非読んでもらいたいです。
本書内ではただ読むだけじゃなくてワークアウト的な点もあるので、飽きずに読み進められます!
・・・え?「随分前の記事から間あいてからのレビューだったな、まさか本読むの遅いだろ?うぷぷぷぷ!!」って思いました?
・・・本自体は1日で読み終わってるんですがね・・・
一朝一夕で時間と仲良くするのは無理で
「時間ない」
「暇ない」
「眠い」
で後回し後回しにしてたらこんなに公開が遅くなってしもうてん・・・
(実際は忙しくないし暇ばかりあるんだけど、苦し紛れの冗談を言っているだけなのはここだけの秘密だぞ!)
はっ・・・私、読むだけ読んで感想書くだけ書いて一ミリも成長してない気がするわ( ^ω^ )
時間の使い方の下手さに嫌気がさしたので、超時間術を学んでみようと思った話。
どうも、ましゅ公です。
私はとても時間の使い方が下手な人間です。
つまるところ、要領の悪い人間です。
いや、本当、世の中遍く人々が生きていて、多分私よりも時間の使い方が下手な人もいると思われます。
けれども、私はその中でもダントツで要領が悪い人間と自負してかれこれ生きてきました・・・
私にはやりたいことがたくさんあります。
まず、ブログ。
はてなブログの1年間更新を自動でされてしまったから、とりあえず書きたいんです。
1ヶ月に10記事くらいはアップしたいんです。
次に、編み物。
私、編み物大好きなんです。大好き歴は1年くらいなんですが、マフラーとか膝掛けとか、あとはゆくゆくは靴下とか編みたいなとか思ってます。
あとは、絵。
今ブログを更新していてたまに画像とかを挟むんですが、ネットで著作権フリーの画像をはっつけてるわけです。
私の意図している内容に近しいものを探してはいるのですが、なんていうか、もうちっと脱力系な画像が欲しい時も多々ありまして。
そんな時に自分で絵を描けたらそれを使えるんだけどなぁ・・・と思ってます。なお私の絵的センスは壊滅的です。
そして読書。
読書は好きだったんですが、最近時間がないことを理由に全然読めてないです。
今『LIFE 3.0』という今後訪れるだろうAIと人間がどうやって関わっていくかってことをかたっている本を読んでいるのですが、あの本、確か1ヶ月前に読み始めてまだ読み終わっていない。もはや最初の頃の内容を忘れてしまった・・・
雑誌も読みたいです。BRUTUS CASAとかDANCHYU(スペル合ってますかね??)とか好きなんですよね。
最後にバレットジャーナル。
飽き性で有名な私ですが、最近バレットジャーナルというものが気になってミドリのMDノートを買いました。どーでもいい内容を取り敢えず書きなぐって悦に浸っております←
そんな感じでやりたいことばかりが頭の中のパルスを錯綜しまくっているのですが、平日はおろか休日もこれらのことができていない。
なんかね、平日は疲れちゃってやる気出ないし。
休日はお布団が気持ちよすぎて離れられないの。
「何か一つはやらな・・・!」と思って、本当に一つだけやって終わる。
気づいたら深夜になってたわ・・・みたいない日常。
それってさ、30超えてそれってさ・・・人生終了のお知らせやん?
と、自分の将来を危惧した私は、つい先日ある本を買いました。
それが、
メンタリストDaiGoさんの著『週40時間の自由をつくる超時間術』。
買ってからまだ1ページも読んでないんですが、なんかすごいタイトルじゃないですか?
週40時間だって。
それってほぼ1週間分の労働時間じゃないですか。
つまるところ、1日6時間くらいは自分の時間を作れるってことですよね?
・・・神か。
来週はこの本を読んで、自分の時間の使い方の下手さにピリオドを打ちたいと思います!需要ないと思うけど感想も記事にできたらします!!
それでは
キャッシュレス社会に物申したい。
時代はキャッシュレスに向かっておりますね。
・・・唐突に、さらには久しぶりの更新で何をぬかしてるんだこいつは!と思われそうです笑
先日9ヶ月ぶりに高校時代の友達と会ってきたのですが、支払いはクレジットかiD払い、現金は持たねえ!みたいな人間になっておりまして。
「キャッシュレスまじで便利だよ」
「最近小さい財布流行ってるじゃん」
「3万円チャージしたら千円おまけでついてくるよ」
などなど、甘言を私の真横で浴びせかけられました!!!
なんてこった、刺客ここにありき。
対して私はというと、クレジットカードはもってるもののキャッシュレスはやらない、どちらかというと現金払いが多い人です。
かつて日本全土にペイペイの風が吹き荒れ、「バーニラ バニラ高収入!」みたいなノリと勢いのCMがテレビで連日放映されていたあの時、確かにペイペイをインストールして何回か使ったことがありました。
また楽天カード民なので、貯まったポイントを楽天ペイで使ったこともありました。
けれども、なーんか違うなと思って今ではどちらも使っていません。
早い話がね、私はキャッシュレス嫌いだわ・・・!!!
「私がキャッシュレスが嫌いな理由3選」と行きたかったところだけど、嫌いな理由は考えたら一つしかなかった。
現金の方が使った金額が目に見えるから、私は現金をやめられない。ただそれだけだったわ。
私は昔から1週間1万円生活をやっています。
これは、食費含め、1週間の生活を1万円でやりくりするというもの。
超ズボラで家計簿なんて一回つけたら飽きるような私ですが、持ち金1万円という枠の中でやりくりするだけであればなんの苦もなくできています。(まあ、半分は食費に消えるので、残りの5千円で日用品買ったり自由に使ってます。)
現金という実際に目に見えるものをやりくりしているので、買い物中も「今週は入り用になりそうだから食費はちょっと抑えて・・・」など結構緊迫感を持ちながらやってます。
でもこれがキャッシュレスならどうだ。
多分お金を消費している感覚というのを、だんだんと忘れていくのではないだろうかと私は思うのです・・・
仮にデビットカードとか電子決済でであっても、チャージした金額は数字には反映されるけれども目に見えはしない。「お金を使っている」という認識が私の場合は麻痺してしまうように感じました。
キャッシュレスが向かない人は、自制が効かない人だと思います。
私がそうです。自分にメチャくそ甘い人間です。欲しいものは買いたくなっちゃうしお金があれば使いたくなっちゃう。
「チャージしたら、今欲しいもの買えちゃうよなぁ?」
っていう悪魔の甘言に速攻心開いちゃうようなクソ野郎です笑
だからこそ「現金の中でやりくりしてね」方式なら上限もあるし、目に見えるし、そしてお金をわざわざ銀行におろしにいくのもかったるいから範囲内で頑張ろうと思うようになれる。
だから私はこれからも現金主義で行きていくような気がします。
一億総キャッシュレス時代と叫ばれて久しい、日本。(嘘だけど)
ペイペイや楽天ペイなど数多のキャッシュレスが群雄割拠している現状。
「キャッシュレスという時代についていかなきゃ生きていけないかな・・・?」って思う人もいることと存じます。
けれども、そんなことはないです。
自分が今やっているお金の使い方に特段不満がなければ今のままでいいじゃないですか。
自分が自己愛が半端なくて、クレジットカードばんばん使っちゃうような可能性がある人は敢えて主たる支払いを現金にするのも全然いいと思います。
時代がどうこうの前に自分の将来の資金を確立させる方が、人生において大事ですからね。
人生思い悩んだらハンドソープを買い換えればいい。
今日も明日も、そして昨日だって大して良いことがなかった。
今日という日は今日しかないのに、それがずっと続いているよう。
子供の頃は毎日毎日があんなにも色めき立っていたのに、大人になった今では毎日毎日が昨日から続いてそして願っても願わなくても明日へと続いていく。
ただそれだけの日々。
そして、それを知りながら消化していく人生。
心理学の本を読むとよく名前が出てくるセリグマンの実験を思い出す。
確か「学習」の実験の話だったと思うけど、2つの檻に入れられた犬がいて、彼らをA、Bと呼ぶとしよう。
Aが入れられている檻にはボタンがついていて、Bの檻には何もない。
被験者である犬が入れられている檻の床には電流が流れる構造になっていて、檻についているボタンを押すと止まる仕組みになっている。
Aの犬は最初流れる電流になすすべがなかったが、ボタンを押す事を「学習」した結果、電流が流れるたびにボタンを押して回避するようになった。
けれどもBは・・・?Bは電流に大して何もすることができない。
最初はなんとか電流を止めようとして檻の中をうろうろするも、何もできないことを悟と諦め、電流が流れるたびにただ苦しみに耐えて弱く鳴くだけになってしまった・・・それもまた「学習」の一つの形なのだ、と彼は言ったのだそうだ。
という、あの話(確かそんな話だったかと・・・)。
私はこれまでも、そしてこれからも大した人生は送れないだろうし、自分ができることには限りがある。それでも生きている以上は生命活動を維持するだけのことはしなければならない。
そこに伴う出費に多少の頭痛を感じ、世の中に溢れる新商品情報のニュースやグルメの紹介などを横目で見やり(がっつり見るけど見ないフリをし)、どこで羽目を外せば良いのかもだんだんわからなくなり。
生きることに伴う電流に、私は、私たちはただただ耐えるしかない。
それはあの檻に入れられた為す術のない現状を結局受け入れざるを得なかったBと似ているではないか。
だから最近、ハンドソープを変えた。
避けることのできない電流を忘れさせてくれる「何か」を、ここ最近ずっと探していた。
服だろうか、コスメだろうか、それとも・・・色々考えていた。けれどもずっと愛用していたミヨシのハンドソープがなくなり、そしてたまたま出先で見つけた1本4000円もするハンドソープを、直感で買った。その時だけは値段に鈍感になっていた。
そしてその直感は正解だった。
ハンドソープに目を向ける人はどれくらいいるのだろうか。
シャンプーの評価は気になる。だって髪のまとまりは身だしなみの一環だから。
ボディソープの評価も気になる。だってツルツルスベスベでいることが世の若い男女の悲願めいた盲信だから。
この二つに比べたらハンドソープをそこまで気にする人はいない気がする。
けれども考えてみてほしい。
この3者のなかで一番使うものはハンドソープなのだ。
1日最低数回は使うもの。
1日に1回程度使うものに全力をかけるよりも、何回も使うものが「使いたい」と思えるものであればクソみたいな人生もちょっとは豊かになる。
今まで特段気にしたことのなかった手を洗う行為が、たちまち記憶したくなる行為に変化するのである。
別に数千円するハンドソープをすすめている訳ではなく。
普段ドラッグストアで適当に選んでいるものを、ロフトとかハンズに行ってそこで売っているものからピピッときたものを買うのだって全然アリ。
何か自分のこだわりを反映させてほしい。
最近、家で手を洗うのが心から楽しい。
匂いも数ある中から私が好きなものを選んで
値段が高いけどそれでも買おうと思って買った。
私の些細なこだわりが詰まったハンドソープ。
それを使うことが楽しくないわけがない。
無気力な人生に自我を投じた。
それは荒れ狂う濁流に一本の杭を挿したようなもの。
多少の抵抗は生まれるものの川の流れを左右するには遠く及ばない。
いつか私も自分の足で立って歩く時が来るのだろうか。
そんなことを頭の端っこで考えながら、今日も明日も、まだ代わり映えのない日常を送っていく。
人生に余裕がないと思った時こそ、余裕を持たせることが大事なんです。
「私の人生、マジで余裕ないわ・・・」
そんな一文、脳裏によぎった経験はありますか?
私はあります。
てか20代から長らくそんな思いと同居してましたよ。
なんで人生ってこーも忙しいんでしょうか。
仕事でしょ
掃除や洗濯や料理等のライフインフラでしょ
友達知り合い間のあれこれでしょ
テレビだって観たくなるし
てかやっぱりスマホでユーチューブ観たりアプリやりたいし
いやいやたまにはベンキョーもしてちょっとは頭を柔らかく・・・
そんなどーでもいいタスクの合間に、年相応の悩み事や将来のこと、この沈みかかった船に乗っている日本国民であることを考えると・・・
あーーーーーもう人生ため息しか出ないわ。
歴史の教科書に出てくる日本って国はなんとも偉大なのに、今の日本の堕落さといったら。
まあそれは官民全てがテイタラクだからであって別に誰のせいにもしたくはないしするつもりもないが、まあ昔の日本と今の日本、国名は一緒だけど中身は多分360度マルっと違そうなのが実情だよね。
まさにテセウスの船状態。
まあそんなのはどうでもよし。
私はお金もなし、地位もなし、一寸先は闇を生きている31歳。
余裕なんてございませんわ。
・・・なんですが、最近はちと違うんです。
「趣味」が私を変えてくれました。
最近、週一でパンを焼くようになりました。
事の発端はコロナで強力粉やイーストが品薄状態になった時。
たまたま楽天市場をうろついてたら、当時品薄トップ5に入ってるであろうこの2つがフツーに売ってる店を発見しまして、感動と勢いでついポチっちゃったことがきっかけでした。
イースト:100グラム入り。
強力粉:3キロ
何を血迷ったんでしょうか。
業務用クラスじゃん。
でも買っちまったものはしゃーなし。
尚パン作りの基礎は一応某A○Cクッキングにお金を落としていた時に学んだんで、一応作れなくはないです。
「毎朝食べる、食パンの代わりになるパンがいいなぁ」
とシンプルでなおかつ成形が簡単な丸パンのレシピを探してつくりはじめました。
最初はレシピ通りに作っていたんですが、だんだんと自分好みの味に変えてみたい欲求が生まれ、毎週毎週試行錯誤の日々です。
でも、それがめちゃくちゃに楽しいんです。
未知の世界を開拓している感覚。
はるか向こうで待っている「理想のパン」への歩み。
気づけばノートまでつけていて、パンを焼く日を楽しみに毎日を生きています。
パン作りなんてセレブの余暇で、超ゆとりのある生活じゃないと手出さないよ・・・ってちょっと前の私は思ってました。ど貧民労働者は業務スーパーで朝の○がやきでも買ってろ、って。
でも、違うんですよ。
余裕がない時こそ、余裕を持つことが大事なんです。
私の場合はたまたまそれがパン作りでした。
確かに生地のこねから発酵、オーブンでの焼成など本当に手間がかかります。正直時間が勿体無いなって思うこともあります。100円払えば一瞬で買えますから、パンなんて。
でも、その待ち時間をどうやって過ごそうかって考えるのが楽しかったり
発酵していく生地を愛でるのが、何でもない休日の些細な楽しみであったり。
美味しいパンを作るっていうことを意識すると、自然と足元ばかり見て窒息しそうになっている平日の自分が遠い存在に思えるんです。私だけど私じゃない何か、みたいな。
(なんと表現したらいいのやら汗)
・・・多分これは朝の○がやきを買っただけではわからない感情なんだろうなぁ・・・(しつこい)
窮地に追いやられた時に「なんとかなる」と思うことと似てるかもしれませんね。
みなさんの人生には余裕がありますか?
もし余裕がなくて辛いなぁと頭のどこかで思っているようであれば、ぜひ自分なりの「余裕がないとできなさそうなこと」に身を投じてみてはいかがでしょうか。
パン作りは一例で、きっと探せば色々あるのかなって思いますので。