【その2】人工知能が私たちの生活を脅かす存在になるなんて、そんなことはありえないと思う理由
どうもこんにちは、ましゅ公です!
以前、こんな記事を書きました。
あなたの近くにある人工知能、なんですか?
近年社会の大人たちに大人気(?)の人工知能。
自分で考えられない、ただ与えられたタスクを延々に繰り返すRPAタイプ
自分で学習し、それを結果にうつす能力があるAIタイプ。
人工知能、と一言に言っても大まかに2通りのタイプに分別することができます。
RPAなんかは会社で事務仕事をしている方ならば一度は小耳に挟んだことがある人も多いのではないでしょうか?フォームの入力、請求書の計算…一般的にいう事務仕事の大半は、このRPAさえあれば賄えてしまいます。
不平不満も言わず
給料もいらず(導入費用とかはかかりますが!)
労働基準法とかも関係せず
会社が求める「奴隷」にうってつけの存在。
だからこそ目をつけてる企業は多いといいます。
そして、そんな人工知能くん達に、私たちの仕事が脅かされるという。
「機械にやらせるからお前らクビな!」
そんな未来がやってくるとか言ってる人がいる。
前回、私の好きなアニメ、エルゴプラクシーの世界観からこの現実問題を語ろうとしました。
…けれど無理でした。
あのアニメって、ぶっちゃけ「ロボットに自我はあるか?」「人間とロボットは何が違うのか?」ってのを描いた作品で、人工知能とかそーいうのではない、ということに気づいたからです。(まあ、フィリップ・K・ディック『電気羊はアンドロイドの夢を見るか?』の概念が作品の根底にあるようなので…。)
なのですみません。エルゴのことは、良い作品だから覚えておいて欲しいんですが、ここでは忘れてください…。
私は、人工知能はRPAにしろAIにしろ、人間を凌駕し脅かす存在にはなるはずがない、とそれでも考えます。なんだったら、おそらく10年先も20年先も、私たち人間は今とあまり大差ない生活を送っているんだろうと思います。
『2001年宇宙の旅』や『バックトゥ・ザ・フューチャー』で描かれていた世界が未だ訪れていないのと同じ。そんなに簡単に理想は現実にならんよ。
第一に、人工知能には共通概念というものがないんです。
共通概念とは、ここでは倫理や道徳、規則や法則などを指します。
なぜ私たちは殺人を犯さないのか?
私たちは人を殺してはいけません。
当然ですよね?誰もが口を揃えて言うし、刑法にもひっかかる。
でも、それ以上に思うことがありませんか?
殺されるのは「きっと痛い」から、殺さない。
そんなことも頭のどこかで考えたりしません?
この考えが、殺人にブレーキをかける大きなきっかけの一つになると思うのです。
人間とは面白いもので、文化や住む地域が違えども、痛覚の概念はほぼほぼ一緒なんです。そして、私たちは無意識のうちに、痛覚の感情を覚えている。
子供だっておじいちゃんだって殴られれば痛いし身体をくすぐられればくすぐったいと思う。私だって、あなただって、そう。
「皆、そう感じるんだな」と認識し、それをあまねく生き物に投影できることが、人間というもの。
一方人工知能はどうでしょう?
まず、彼らには痛覚がありません。
「痛覚とはこういったものだよ」とプログラムすることはできます。けれども、彼らがそれを身を持って感じることはありません。
だから、「自分が感じるものは、他の人や動物も感じるだろう」という発想に、どう頑張ってもなることができない。
割れたコップと濡れた床から、どんな危険が起こりうるか、わかりますか?
そんな大げさな例えでなくても良いんです。
例えば、私が喫茶店に行ったとします。
注文を終えてくつろいで待っていると、隣の客が不注意でコーヒーの入ったカップを落としてしまいました。
床にはコーヒーの液体と、割れたコップの破片が散乱しています。
この時、私たちなら即座に片しにいきますよね?
だって、水分が床に散乱してたら滑って転ぶかもしれないし、コップの破片は怪我をするかもしれない。そしてなにより、汚れを拭き取らないと清潔感が…
瞬時にこれらのことを思いつくことができるのが人間ですが、
人工知能はそこまで思考を派生させることができるでしょうか?
拭いて、片して、なんだったら途中で周囲に注意を促す。…「そんな単純なこと」と思うのは人間だからであって、人間以外には難しいことなのかもしれません。片付けるのはともかく、どうして周りに注意を促すのか?理由がわからなければ、そんなプラスアルファの要素、思いつきもしないと思います。
事務仕事が人工知能にとってかわられる…?なめんじゃねぇよ
AIに取られる仕事の筆頭として事務仕事があげられますが、事務仕事ってそもそも機転を効かせたり先読みの力がないとできない仕事ですよ?
ルーチンワークと言われますが、なんだかんだ毎日いろんなことをやりますし、顧客との折衝の時は面倒事になるのが嫌なので、相手の反応を考えつつ先回りして提案したりすることも多々あります。入力作業にしてもメールの返答にしても、雛形というものは存在しますが毎度雛形通りにいくわけでもなく、その都度追加したり新規作成したりすることもあります。仲良くしたらメリットありそうだな、という相手にはガンガンメールなり電話なりしてアピールしたりもしますし…
その判断は完璧に自分のさじ加減でやっているのですが、その判断を人工知能ができるようになる日が来るかと言われると…心とか感情が芽生えないと無理じゃね?って思うんですよね。事務仕事って、私の中では「常に相手に義理を振りまく仕事」だと思っているので!
私たちが恐れた人工知能は、所詮は人間のエゴ、勝手な妄想だ
人間が人工知能の台頭を信じて恐れたのは、人間が「人間の視点から」人工知能を見たからではないでしょうか。(多分、ドラえもんの見過ぎです。ドラえもん症候群です、きっと。)
人工知能は人間みたいにミスはしないでしょう。だから「究極体だ」と思われるかもしれませんが、私たちが考えるほど応用性はありませんし、感情や心がない以上、先回りしての行動やTPOに合わせて物事を考えることはできません。
だから、まだまだ世の中は人間の時代です。
人工知能には雑務に徹してもらいましょう!
まあ、コギトウイルスが蔓延したら高みの見物もできなさそうですが笑
それでは!(もっといい文章書きたいなぁ…)