1000年生きられたとしたら、何、しますか?
どうも、ましゅ公です。
これからの人生100年時代と説く日本政府。
そして科学の世界では、人生1000年時代も夢ではない、と言われています。
あなたは1000年生きたいと思いますか?
そもそも1000年も人間は生きられるほど丈夫な身体を持ち合わせていません。
ホモ・サピエンスという一生物としては35年くらいが真っ当な寿命とされてます。(医療措置なし、あくまで身長・体内構造による算出)
織田信長の時代は「人生50年」と言われていました。
それが時代を経るについてその人生は80年、100年…と伸びてきました。
そして、医療措置ありでの人間の心臓の耐久年数は約120年ほどと言われています。
つまり、生まれてから一切の延命措置(コールドスリープ等)を経ない場合の人間の最大寿命は120年が限界なのです。
では、どうやって1000年を生きるのか?
それには、臓器の交換が必要不可欠となってくるようです。
少し前に話題になった、iPS細胞。
この細胞は、文系の私もよくわからないのですが←ざっくりいうと、人の臓器のクローンを作り出せる細胞。自分の細胞を元に作られたものだから、移植の際の拒絶反応が起こらないとも言われているそうです。(※実際のところはよくわかっていないみたい)
まあ、あとは完全に細胞が形成される前に移植することで癌化の心配があったりして、なんとも難航している細胞のようですが、それでも、これが現実のものとなったらすごいことです。
だって、自分の健康な時の細胞を保存しておけば、それを元に臓器のクローンを作り出し、移植することができる。
健康な時の臓器の細胞であれば耐久性も高いだろうから、事実上「新しい臓器を手に入れた」と一緒なのでは?
悪くなってしまった臓器をすぐ新しい綺麗な臓器と取り替え、なんだったら血管なども複製できるようになれば、動脈硬化なんてもう怖くない。心臓の寿命だって乗り越えられる。
そうして老いては取り替え、老いては取り替え…を繰り返せば、私たちは1000年どころか1万年でも、1兆年でも、好きなだけ生きていられる。
因みに、この話は私がひょんな思い付きで書いているのではなく、知り合いのおじさんが目を爛々に輝かせながら語ってきた話だったのですが、どうやらそのおじさんは1000年生きてみたいよう。(まあ金持ちのようだから人生楽観的なんだろう)。
1000年生きたら何をするか?
→「一生飽きるまで遊ぶ!!!!!」
とか、良い歳こいて豪語してました。
ひゃー、たまげるわ。
かくいう私は、もう20代も終了間近にして人生生き切りましたわ、って達観してるので、1000年も生きられるなんて責め苦以外の何物でもないのです。
だから、この意見には否定的な感情しか持てないのですが、
みなさんは1000年生きたいと思いますか?
そもそも1000年生きるのって大変な気がします。
だって、これまでの世界の歴史を振り返ってみましょう。
【1000年前っていったらこんな世界です】
1000年前。2019ー1000=1019年。
鎌倉幕府だって存在してません。
モンゴルが攻めてきた元寇だって、1274年です。
世界に目を向けると、1019年は十字軍が遠征を始める年です。
アサシンクリード!!!!
つまるところ、めっちゃ古い。
こんな長いスパンを生きられるようになるわけですよ?
それから世界は幾度も戦争を繰り広げて、領地を拡大したり縮小したり、はたまた飢饉に喘いだり虐殺が繰り広げられたり…と、各国の沽券を賭けたくだらない闘争が何度も何度も、たぶん日常茶飯事レベルで行われていたと思うんです。
戦争は時を隔て、「政治」として行われるようになりました。
でも、いつまで政治は機能するのでしょうか?
隣国に目を向ければ北朝鮮の金正恩は核兵器を持ってることを見せつけてきて、
欧米では少し前に「イスラム国」によって恐怖の只中に落とされました。
日本国民は何か色々とくすぶっている。
もちろん人との交流の数だけ、平和も訪れる。
でもそれ以上に恐怖や無気力、陰謀も渦巻いている。
だからこそ、いつかまた世界的な戦争が、本当に「戦争」という形で勃発してしまうのではないか、と私は危惧してるんです。
それはもしかしたら明日かもしれないし、それか何世代か後かもしれない。
生きていればそれだけ、悲しい出来事に遭遇する機会も増えてしまう。
また、人間は、限られた時間を生きようとするから、輝くことができるものでもある。
人生は、現代社会ではだいたい80年で、それも80年間ずっと元気でいられることはまずない。みんなどこかしら痛めて、身体の衰えも隣り合わせで、それでも受け入れて生きている。
だいたい、体の自由が効くのは60代までではないでしょうか?
だからみんな、若い時を一生懸命頑張る。動けるうちに、健康なうちに、と考えると、この人生というものは少し短く感じます。
同様に、人はいつか死ぬからこそ、日々を大切に生きようと思えるものです。
他人の死と向き合わないといけないから、日々を大切に生きようと思えるのです。
両親に親孝行をできるように、配偶者と密な時間を過ごせるように、お互いいつなくなるかわからない命だからこそ、後悔なく生きようと思える。
人生はドラマ。
そして人生をドラマたらしめているものは、寿命だと、私は思うのです。
そう思うと、「ほぼ永遠の命」というのは、なかなかどうしてつまらないものでしょう。大事に巻き込まれる可能性も高ければ、人からやる気も使命も奪ってしまいかねない。
ならばコールドスリープで1000年の眠りについて、そして何十年か生きた方がまだ、楽しめるというものではないでしょうか?
現に、iPS細胞等の幹細胞は、確かに医学的には優秀な、魅力的を持った細胞として注目されていますが、倫理的な面では問題あり、とされているようです。
まあ、クローン羊のドリーが誕生した時も相当問題になったと聞きますし、科学と神学は今もなお分かり合えないということなのでしょう。
もし実際に幹細胞が実用可能なレベルまでに達した時には、絶対に安易に使わせないような法律や制度をたてた方がいいでしょう。
今の世界にはまだ、早すぎる技術だと思います。
幹細胞の技術を応用して死者を蘇らせることが出来るようになったらもう…それは人間としてカウントしていいのかすごく迷っちゃいますよ!錬金術師もびっくりです。
話がとんでもなく長くなりました!
私は、1000年も生きたくなければ、その命は本当の命と呼ぶことはできないとも考えます。
継ぎ接ぎだらけの、まるでゾンビみたいな、その命。
そこまでして1000年生きて、果たして何が手に入るというのでしょうか?
みなさんは、1000年生きられたら何がしたいですか?
そもそも、1000年も生きたいですか?
なんだかとても、色々思うところがありました。
でもこのままでは埒が明かないので、退散します(汗)
それでは!!