ましゅ公と愉快な呟きたち

いろんなことについて書きなぐりたい。そして、それが誰かの役に立つといいなと夢想するブログ。

ましゅ公と愉快な呟きたち

お金の価値を本当にわかっている人なんて、世の中にいるわけがない

 

どうも、ましゅ公です!

  

ブログの更新が2週間くらい止まっていました。

あんなに順調に進んでいたのに!(甚だ謎)

 

 

背後から肩をポンポンと叩かれ、

 

振り返ったら、奴は、立っていたんです。

 

 

…私は喰われちまったんですよ。

鬱というものに。

  

私と鬱の、長くて濃密なお付き合い

 

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そもそも私と鬱との付き合いは決して短くないと思います。

最初に罹患したのは、確か高校3年生の春。だから12年も前のことになるんですね!あらびっくり。

 

 

鬱というのは脱臼に似てる、と個人的には考えております。

 

 

脱臼ってほら、初めてやらかすととんでもなく痛いじゃないですか!!脱臼って残念なことに一度外しちゃうと"癖"みたいなのつきますよね?外れ易くなりません?

 

 

鬱も、最初対面するとそれはもう衝撃と驚愕の嵐です。

 

 

「え、どうして今このタイミングで死のうと思った?」

「あれ、今すれ違いざまに知らん人から死ねよブスって言われた…」

「私なんて生きてる価値ない!酸素吸うと酸素に迷惑!よし首を吊ろう」

 

 

なんで今までのほほんと生きてきた私が急にこんなことを考え始めるのか驚きでしたし、何よりも人生や自分や、そして周りに対しての殺意が半端なかったです。周りも対処に困り、家族からは「悪魔」と呼ばれ…

 

 

そんな初回の鬱との対面。

なんとかねじ伏せました。2年くらい時間はかかりましたが。いろんな方にご協力いただきました。その節はお世話になりました。

 

 

でも、鬱って治らないんですよ。一度歪んだ思想は、なかなか元通りにはならないんですよ。残念なことに。

 

 

いつも私の後方に「鬱ちゃん」という子がいてね。

いつもは同じ歩幅で歩いているから、決して追いつかれることはないんだけど、ちょっと私が気を抜いたり落ち込んだり、精神的に苦痛を感じると私の方が歩くのが遅くなって、気づいたら追いつかれていた…

 

普段は澄ました顔してるのに、追いついた途端にちゃにちゃ笑いながら取り入ってくるので、厄介でなりません。

 

 

今でこそ何度邂逅しているかわからないので鬱ちゃんに追いつかれても対して悪影響は出ません。

 

 

でも、今回は辛かったです。

いや、おそらく今も現在進行形で続いている感じがします。

こういう時明、日も会社だから嫌だよね。

 

 

そして、何故今回こんなことになってしまったかっていうと、理由はお金になります。

 

 

今生きるお金は十分、むしろ十二分に持ってます。

けれども、今後10年20年と生きていく。

そして平均寿命まで全うしたらあと50年は確実に生きることになる。

その時の費用が、今のままでは稼げない。

将来ひもじい思いまでして生きて行きたくはない。

安定が欲しいと思う。

けれども安定はいつも「安定」な訳ではなく。

安定は、いつかひょんなことで不安定に変わる可能性もある。

それは、ほら。リストラとか、私の場合で言ったら派遣切りとか。

「安定」という偽りの幸せがいつまで続くのだろうか?

ならば「不安定」に手を染めなければならないのか。

……

………

 

そーやって、考えても何もならない、杞憂というか愚かというか、そんなことばかりが頭を駆け巡ってしまって、きっと疲れてしまったんです。CERNもびっくりのグルグル具合だわさ。

 

お金という概念に惑わされる私たち…いや、私。

 

お金というのはすごい。

 

お金なんて、言ってしまえば「目に見える概念」のようなもの。

だって、例えば十円自体に価値はない。十円、という役割を与えられているから十円なのであって、それが仮に百円とか、はたまた1銭だったら、同じ銅貨でもそれぞれの価値にしかならない。

 

 

そして十円の価値は不変ではない。

ハイパーインフレなんかが起こった暁には、十円の価値は十円という役割を与えられているにも関わらず、1銭、いや0.0000000001銭の価値にしかならなくなるかもしれない。

十円あったらとりあえず駄菓子やさんで赤の背景にクロネコみたいな絵が描かれたチューインガム買えるよね、というのは今日までの事であって、明日もそうとは限らない。

 

 

不謹慎な話、明日日本銀行がぶっつぶれて、そもそも日本円というものに価値がなくなるかもしれない。外貨に変えようにも価値がなくなったために変えられなくなるかもしれない。…トンデモ発想だが、そんな可能性だってミクロのレベルで存在しているはず。

 

もしそんなことが起きたら私たちが一生懸命崇め、集めていたものはなんだったのか?

 

そんなよくわからないものに怯える自分が情けないというか、なんというか。

でも、それでもやっぱりお金って大事ですよね。

 

 

とはいえ、いつまでも鬱を拗らせていてもただの痛い大人だ。

とりあえず、私に付きまとう鬱ちゃんをなだめてこようと思います。

 

 

それでは