どんな時でも、「好き」といえることは正義だ。
どうも、ましゅ公です。
唐突にセンチメンタルな話をすみません。
ですが、今日はそんな日です。
実は私は元・うつ病でした…どんなに自分を律しても人生の辛さは消えない。
みなさんは人生が楽しいと思いますか?
私は実は(?)”うつ抜け”族です。
発症したのが10代の終わり。20代の大半は生きることとは何か、を探しあぐねてました。周りにも迷惑をかけまくってました。ええ。
・・・今思えば相当ながきんちょだったなぁと思います。
生きることが嫌になるくらいの酷い出来事もありました。その度に心を折られながらも死ぬ勇気もなし。自分の死後の周りへの悪影響を考えると死なないほうがベターかな、そんな生きたくても生きられない方々に大変失礼なことを常時頭の端っこで思いながらの毎日。
まあちょうど30歳の私ですが、まあまあ、巧妙にうつの臭いを隠し通せるようにはなったかな。
うつのにおいってなんだ。
竈門炭治郎か!笑
今いる会社の人たちはきっと、私がうつだったなんて思わないはず。
…アスペかなとは思われている気がしますが笑
そんな私。
やっぱり今でも生きてることは楽しくないです。
ほぼ毎日元気はつらつな文章を書きなぐってますが!
「これ使って保湿完璧〜♫」みたいな、そんなキャピキャピの極みみたいな文章書いていますが!!
心のどこかでは
「私そんな元気たっぷりな人間じゃないんだけどなぁ…」
って思ってました。
眩しいよ、私。スキンヘッド並みに目に刺さるよ。
自分を偽って売れる方ってすごいです。
芸能人とかでもいるじゃないですか。本当は根暗なんだけど、メディア用に明るく面白キャラを創り上げてる方。それを年単位で継続できている方。
…爪の垢を私にください…!!
「好き」。たった2文字の言葉が秘める力。どんなときでもこの思いを胸に生きていきたい。
閑話休題。
回顧しますと私のうつは対人関係で助長されたと思ってます。
最初のきっかけは多分単なるストレス。すこしでもいい大学に行きたくて休日も机にがんじがらめの生活をずっと続けていたので、疲れていたんじゃないかと思います、
でも「疲れた。休みたい」そんな当たり前の事を言うと周りは顔をしかめました。
懇意にしてた先生は徹底して無視をきめこみ、母親は最初は心配してくれたものの私が次第に不登校気味にもなり、それが耐えられなくて一緒に死のうと包丁を突きつけました。
頑張ってバイトを始めても騙されることが多いし、気づけば阻害されて追放され。
私は、ずっとずっと人間が嫌いだった。
人から突き放される度にその思いは増殖して、私の人格を歪ませる。
嫌いという気持ちは正直今もあんまり変わらなくて。
けれども人から逃げていては私の人生が辛くなるだけだと自分を律してきた。
…それは本当に正しい在り方なのだろうか?
そうではないと思う。
そんなのは辛さにただただ蓋をするだけの絆創膏にしかならなくて。
絆創膏だけ貼っても傷は治らない。
白血球やら血小板やら、そん身体にあるものが作用して本来傷は治るもの。絆創膏はただの「保護」の役目に過ぎない。
今の私も一緒。
自分を律しても所詮は付け焼き刃に過ぎないのです。
結局のところ、中身は疑心暗鬼な私なのですから。
「好き」と言えたらどんなにいいことだろうかと思います。
異性に対しての好きもそう。同性にも、親族にも親にも、あらゆる人に対して「好き」と言えたなら…きっと私は付け焼き刃に頼る人生ではなくなるでしょう。
なんなら、あらゆる人に「好き」と言えたら。
あの時以来母親のことは正直嫌い。だけれども殺さないでくれた優しさに「好き」を。
バイト先で阻害されて結局逃げるように辞めてしまいましたが、それがなければ今の私はなかった。もしかしたら会社で働いていることもなかったかもしれないし、人生をもがくこともなかったかも。実はみんな、私に「大海を知れ」と送り出してくれたのかも。そんな可能性を示唆してくれた懐の広さに「好き」を。
私を取り巻いてきたあらゆる環境・人に好きと言えたなら、きっともっと人生が楽しくなりそうな気がするのです。
でもなかなかそんなこと言えません。
恥ずかしいし、「頭いかれてる」とも思います。
なかなか思っても実行に移せそうにないです。
人生ってやっぱり、難しいですね。
それでは!
(明日からはきっといつものテンション!)